H1756:道なりの大杯水仙と山裾の黄色い山茱萸(さんしゅゆ)の花や『よみがえる母と生きた光景』の投稿文など(^^♪























「↓グーと引いて、ご覧のように道なりの花達です。」

「↓山裾の黄色い山茱萸(さんしゅゆ)の花」



山茱萸(さんしゅゆ)
➡学名:Cornus officinalis
➡科:水木(みずき)科
➡属:ミズキ属
➡原産地:「中国と朝鮮半島が原産地」
➡花言葉:「持続」「永久」「気丈な愛」「成就した精神」
➡別名:「春黄金花(はるこがねばな)」
➡その他:「江戸中期に日本に渡来」
by 季節の花300
今朝の話は、
広島市安佐南区にお住まいの76歳の主婦の方の投稿文です。
よかったらご覧ください。
『よみがえる母と生きた光景』
母は8人の子を産み、苦労して育ててくれた。
家は小さな村で商店を営んだ。
生活は決して楽ではなかった。
きょうだい皆が家業を手伝った。
現代のように便利な暖房器具などのない戦中戦後である。
冬になると母は夜なべして、
袖のある綿入れ「つっぽう」を家族全員に作ってくれた。
頂いて最初に着た時のぬくもりは今も忘れられない。
食事は米に麦を混ぜた。
中学生になると弁当を持参しなくてはならなかったが、
母は麦を除いて白米だけ詰めた。
弁当を食べるたび、親心に感謝していた。
母が生存中は毎年、きょうだい皆が母の日にプレゼントしていた。
そのうち母はプレゼントを断るようになった。
それで私は年に1度、感謝の手紙を書くようにした。
母は大変喜んでくれた。
晩年、骨折してリハビリ施設に入所した。
母はある夜、
同室の方に「おやすみなさい」といつものように言って床に就いた。
そしてそのまま朝になっても目覚めることはなかった。
大家族のにぎやかさが好きだったのに、静かに78年の生涯を閉じた。
私も母の旅立った年齢に近づいた。
新型コロナウイルス禍で外出を自粛、「断捨離」をしている。
だが、写真だけはなかなか整理できない。
母の写る一枚が出てくると、手が止まる。
母と生きた光景が目によみがえる。
最後までご覧頂きありがとうございます。アイリス

この記事へのコメント
とはいえ写真はものではなくて思い出そのものですから別に「断捨離」とかいって捨てないでとっておいても問題ないんじゃないかと思うんですけどねぇ…違うんですかねぇ?
私は『ぶつよくをよくせーされない、たいりょうしょうひぶんめい』の申し子みたいな人だから断捨離なんぞしませんw
ううん、どうなんでしょうね?
どうも文面を見ると、「写真だけはなかなか…。」って書いてあるので、
写真も断捨離するつもりなのでしょうが、
私は写真以外のものを断捨離していて、
たまたま、写真が目についただけで、
写真を断捨離しようとは考えていてないと思いたいですね。
写真がたくさんあるとしてもね(>_<)
私はというと、自分がおさらばした後の事まで、
考えようとは思っていません(^o^)
いつも詳しく見て頂いてありがとうございます。